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オオタを育てるブログ

目標を具体化・達成記録。好きなことや愚痴の吐き出しなどなど…。

家族に引きこもりがいるということ。

家族 自己啓発

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■私には引きこもり(現在進行形)の姉が家族にいます。

突然ですが…。

プロフェッショナルで、引きこもり支援の方の特集を見ていたら衝動的に書きたくなったのでかきました。
谷口仁史さんという方の特集ですが、佐賀で、ひきこもりの方々の支援をするNPO法人の方です。
みていると他人事ではなかったので、今回は衝動的ですが書きたくなった本当に雑記です。

www.nhk.or.jp

■小学校時代

姉は、小学校までは頭も良く学級委員も務めるくらいは社交性のある人でした。
当時は、頭もよく結構自慢の姉でした。
まさか、当時の自分も将来姉が、ひきこもりになるなんて思っていなかったと思います。

■中学時代(1年)

姉は中学になり、いじめは部活を始めたのがきっかけだったようです。
当時流行だった、ベビーGのデジタル時計が先輩とかぶっていた為、目をつけられたのが最初だったそうな。
そこで少し意固地になって、時計を外さなかったことが事態を悪化させたのか、同級生からもいじめられるようになりました。
集団で無視されるようになったんだとか。
中学1年の2学期からは立派な引きこもりになっておりました。まあ、私もそれをされたら引きこもる自信はありますが。
当時は、学校に行こうとするとお腹が痛いとか言って休んでいました。

毎週姉の担任が夕方にやってきては、何を話すでもなくケーキを食べながら、世間話をして帰り際にプリントを渡して帰るという感じが続いた。

■中学時代(3年)

髪を金髪にし昼夜逆転で、起きている間はネットゲームをずっとしているという生活を送っていました。
おかげで、ネットの世界では、なかなかの地位を築いていたようです。

姉は引きこもりのまま中3になり、私も同じ中学に入学しました。
姉がいじめられていたのは知ってたし、その人達がいるところに入学する私の心境は、少し複雑なものだったように思います。
また、姉に愛想を尽かして、少し失望していたように思います。

私はサッカー部に入りましたが、先輩の中にいじめていた主犯の人もいたのがまたストレスでした。

そして、無神経にも姉ちゃんは元気なのかとか、軽く聞いてきたりもされました。
いじめは、いじめられる方にも問題があるのは、学校という社会の中で生活していて、当時の私でもそれなりにわかっているつもりでした。姉から聞いた話も、大体は聞いていましたが、姉にも原因はきっとあるのだろうと思っていましたから。
ただ、先輩の軽はずみな行動がうちの家族にどれだけの闇をもたらしたのか教えたいし、お前にも味合わせたいと本気で思っていました。


今でも後悔しているのは、こういう時は、引越しでもなんでも生活を変えるべきだったということです。
学校という狭い社会では、村八分が起きて広まってしまった場合、そこから元の位置に戻るのは非常に難しい。
いじめが軽いもので、ターゲットがころころ変わるものなら少し我慢すれば済むことですが、姉の場合はそれに耐えられず、引きこもりとういう選択肢をとったことで、いじめを半永久的なものにしてしまったように思います。

そして、もう一つの後悔は家族が姉の事を本当の意味で救いたいと行動を起こさなかった事です。
うちの家族は私を含め4人家族でした。
共働きで、父は単身赴任で母が仕事も家事もこなしていました。
収入に関しては心配ない家庭だったとおもいます。
そして、私はなぜか当事者意識が欠けていました。
いじめとか大きな問題は、自分がどうにかできることじゃないし、先生とか、親とかが解決すべき問題であると思っていました。

それも講じて、うちの家族は事なかれ主義なのか、不登校の姉を叱ったり、登校を強要したりはしませんでした。
叱って、強制的に登校させることも問題が起きそうなものですが、その逆はもはや不干渉すぎるのも問題であります。
そういう問題を先送りにする家族ですから、腫れ物に触るように肝心な事に関しては話さない、話せないようになっていきました。
不登校に関して話すと、姉は癇癪を起こして喧嘩になるのがわかっていたし、誰も前向きな気持で話を進められなかったからです。
姉を心配する両親の気持ちは理解してない訳ではありませんでしたが、姉への対応を見て、私は特に母への信用を失っていったとおもいます。

当時の私は、いじめている人たちへの怒りもありましたが、同時に姉ばかり甘やかされている。
私だって学校行きたくない時はあるし、ゲームもしたいという理不尽を感じていました。
姉ばかり・・・。という不満もあり、学校行けよと言いたいけど、言えない不満ばかり持っていました。
友達を家に連れてくることもできないし。
でも、表面上は他の話題を話し、家族の中では、姉の機嫌を損ねないようにするのが最重要だった為、喧嘩もしなくなっていきました。

母はきっと当時の私以上にいろいろ悩んでいたと思いますが、母への信用はなくなっていきました。
また母は、弱音とかマイナスなことを殆ど言わない人だったということもあり、余計に母が何を考えているのかわからないし、何も考えていないんだと思っていました。
例えるなら、おおかみこどもの雨と雪」の本当に大切なことは言えない母バージョンみたいな。
私達の前では、笑っていましたが、当時の私にしてみれば、
「笑ってんじゃねーよ。姉があんな状態でよく笑えるな。」と思っていましたし、母の笑顔が白々しく感じていました。
私は母から褒められても何も感じなくなっていきました。
当時の私は、比較対象が姉になっていたため、全てにおいて褒めることのできる対象だったんだと思います。

家族なのに、表面的な会話だけで、肝心な言いたいことも言えない家族が出来上がりました。

そうして、私は中学3年間を過ごし、姉は結局中1から不登校のまま中学を卒業しました。

■オオタ高校時代

高校時代では、既にこの状況は硬直し慢性化して誰も手を付けられない問題になって、家族全員が諦めていた為、大きな事件はおきませんでした。私は、志望校へ合格しサッカー部へ入部し、ほとんど高校では勉強せずにすごしました。
ただ、この3年間で思っていたことは、辛い経験をしたのはわかるけど、そろそろいい加減にしろというのは常に思っていました。

そして、問題はまた起こり単身赴任をしていた父が仕事を辞職し、家に戻ってきました。
父は多忙で、仕事人間でした。収入も当時は、共働きで世帯収入では1000万以上はあったでしょう。
地元で、仕事を探すとのことでした。医療系の仕事に従事していた父は、地元の開業医の元で、前職よりも収入は減りますが仕事を始めました。しかし、私が高2の前位でしょうか、院長の医療ミスにより敢え無く閉院。父は、めでたくプー太郎になりました。
でも、今まで近くにいなかったこともあったのか、父にはなぜか反抗心は芽生えませんでした。
しかし、これをきっかけに家族のカースト制が崩れ、当然ながら母が頂点に立ちました。
母は、父に対してぞんざいな態度をとるようになっていきました。

■オオタ大学時代(姉が、大学受験!)

私は、地元を離れ大学へ入学し、家族とは離れました。
そこから、また当事者意識がさらに薄まり、もうそっちで何とかしてほしい気持ちでいっぱいでした。
その後、私が大学在学中に、家庭教師を雇い1年間で高卒認定を取得し、大学受験資格も取得した姉の知らせを聞いた時は、本当に嬉しかったのを覚えています。やっぱり姉はすごいなと思いました。
このまま頑張って欲しいと思っていました。
その勢いで、センター試験を受験し大学にも幾つか合格したようでしたが、欲が出たのかもっとよい大学に行きたいとなったのです。
それは、今までそんなこと言ったこともないし、1年だけという条件のもとみんな応援しました。
しかし、それも虚しく中だるみしたらしく、結局センター試験場へ足を運ぶことすらしなかったそうです。
私は、センター当日までそんなこと知らなかったので、センター後に電話して未受験だったことを親から聞き、本当にショックだったのを覚えています。

姉への失望以上に、なぜ引っ張ってでも姉を会場まで連れて行かなかったのかと、怒りは親へ向きました。
私も卒業製作できりきりしていたこともありましたが、母と電話で口論になりました。
私は、姉も悪いが母の責任問題を追及しました。今でも間違ったことは言ったとは思っていませんが、
ただ、その時に母が答えた内容は、

母「じゃあ、オオタは誰のおかげで大学いけてるの?(私でしょ?)」

はっきりとは覚えていませんが、だいたいこんな感じのことを言われたように思います。
引き合いに出す問題が的を外しているように思いました。
母への信用は、あまりありませんでしたが心底嫌いではなかったし、常に喧々諤々としているわけではなかったはずですが、
こんなことを言われるとは夢にも思っていなかったし、なんだか一気に哀しくなりました。
確かに、在学中には金銭的な負担を掛けていたのは認めざるを得ないし、お金の無心をしていたのもありました。

母としては、「近くに居もしないお前が、知ったようなこというな!!」という気持ちも込められていたと思います。

なんか、もう本当に知らね。っていう気持ちになってしまいました。
もうね。ほんとにしらねーよ。勝手にしろと。

そして、なんでこんなことになったんだろうと思っていました。
すべては、いじめさえ起こらなければ…。と、本当に思い出してしまいました。
今、姉をいじめた奴らがノウノウと生きていると思うと、本当に呪ってやりたいという思いが再燃していました。
その場は、もう私が呆れてじゃあもういいや。となって電話きりました。

私は、そのまま卒業製作を完成し、結局親のすねをかじりながら大学院へ進学しました。
まあそれはそれで情けないんですけどね…。

■大学院から就職へ

大学院では、思いのほか授業も忙しいし、就職氷河期ということもあり人にかまってられないような状況でした。
そうして勝ち取った就職で、一度私が就職が決まった時に、家族に報告がてら姉とも話しました。
姉はこれからどうするのかと。

私は、姉と比べれば優秀とはいかなくても平々凡々割と順調な人生を送れていました。就職もきまり少しは人生の道筋をたてられる状況にありました。

そのタイミングもあったのか、

これの一言が姉の逆鱗に触れました。
私は、私大の理系で一人暮らし、親に迷惑をかけてお金の無心を大学生になってからしてました。
そのことは事実です。

そういう家族に対しての不満から、オオタはこれから社会にでて色々お先真っ暗な私と違っていいな。と。

今姉の立場で考えると、確かに嫌味を言われている気分になるのは明白ですが、当時の私は、単純に心配でかけた言葉から、そんなことを言われるとは微塵も思っておらず非常にショックでした。当時既に姉は引きこもり歴10年前後となり、本気で心配していたのです。
みんな私の期待を裏切ってきますね。うまくいかなことだらけですね。

私もここで、感情的になってしまいました。小さい頃とは違い、先のことを考えると両親の方が姉より早く亡くなる訳ですから、その後の引き取り手は私になることは明白。現実的な問題も引き合いに出して姉に問いかけました。すると姉は、オオタに養ってもらう気はさらさらないとのこと。
話しながら冷静になってきて気づいたのは、もう実家で姉を叱る人は一人もいないということでした。
交友関係もない姉の逆鱗に触れる人はもう一人もいないようでした。


そんなこと考えてたら、電話で嗚咽しながら話していました。
姉に真意が伝わったかは定かではありませんが、久々に思っていることをそのまま話すことができて、何だか久々に家族っぽいことしたなと思いました。姉が幸せになる努力を始めて欲しいと、心から思いました。
そうしてその後就職しましたが、姉に大きな動きはありません。

ということで、次に実家に帰ったら家族会議です。

二級建築士について

もう、9/13日なので、もう5日しかない!!
どうしよ!!
最近模試二回目ありましたが、もうエスキスさえちゃんとして読み落とししないように頑張るとしか言えない!
それさえできれば大丈夫そうです。

A子さんとのその後

メシいって、また9月試験後メシ誘いましたが、予定があるとのことで一度撃沈。
10月はーと聞いたら、10月なら多分大丈夫とのこと。
ほんとに誘ったらくるの?ほんと!?気が進まないならちゃんと断ってね!!
という連絡はしたくてしたくて堪りませんが、グッと耐えて、
また10月連絡しようと思います。
一応前の食事の際に、また誘ってねと言われたので大丈夫だと思っていいんだよね!?
社交辞令とか、俺には通じないよ!?
はっきり言ってね?!
興味無かったら連絡返さないからという言葉信じるよ?!



ということで、姉が引きこもりがかなり長くなって最後しかも少しぞんざいになってしまいましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。

では、また!!